以下の記事は、元動画「会社倒産、収入ゼロ。それでもスペイン(バルセロナ)を離れない理由が素敵すぎた。」を基に記事化しています。
バルセロナを離れない理由は何か。
動画の主人公は、工業デザイナーの角田さん。
リーマンショック期に会社・収入がほぼ消えた時期を経験しながらも、家族と話し合い、スペインのバルセロナに住み続ける選択をしました。
理由は単純にして強力です。
街の気候や人との距離感、アートが日常に溶け込む環境、子育てのしやすさ、多様な人種と文化が混ざり合う日常、そして何よりも自分らしくいられるから。
仕事は世界相手にすればよい。住む場所は自分の心と体が健康でいられる街がいい。これが物価上昇や収入の波を越えて続けてきた、彼の一貫した答えでした。
主人公のプロフィールと軌跡
アメリカの名門ロードアイランド美術大学で工業デザインを学び、青いボールペンとA4紙から始まる独自のプロセスを確立。
2005年にバルセロナでデザインスタジオを設立し、段ボールを活かした照明など、素材の価値を引き出す作品で注目を集めます。
全盛期は300平方メートルのスタジオにスタッフ5人、インターンを含め最大10人規模。プロダクトの企画からパッケージに至るまで一貫した視点を持ち、累計で数十点規模の作品を世に出してきました。
バルセロナに残る五つの決定的理由
一つ目は街の気候と光です。
地中海性気候の明るさは、人の気持ちを解きほぐし、屋外での社交文化を支えます。昼下がりのビーチ散歩や公園のピクニックが日常にあり、心身のリズムが整います。
二つ目は文化の厚みです。
ピカソ美術館、ミロ美術館、タピエスの施設など、幼児から無料で触れられる場があり、街全体がアートの教室のように機能しています。アーティストの小さなギャラリーも多く、表現の敷居が低いのが特徴です。
三つ目は多様性です。
クラスの半数以上が移民系という学校も珍しくありません。
肌の色や出自を越えて子ども同士が混ざり合い、言語もスペイン語、カタルーニャ語、英語、日本語が自然に飛び交います。外の概念が友達という言葉に置き換わる環境は、創造にとって大きな財産です。
四つ目は子育てのしやすさです。
街の至る所にある公園、子どもにやさしい大人たち、柔軟な教育制度。
留年も飛び級も個に合わせて行われ、丁寧な教育とはその人に合わせることだという哲学が根付いています。親同士の助け合いも日常的で、ベビーシッター的な預け合いが自然に生まれます。
五つ目は仕事の自由度です。
クライアントは世界中に求めればよい。
拠点は生活の満足度が最大化する場所に置く。この発想により、メキシコや日本、バングラデシュ、インド、クウェートなどと案件が繋がり、住みたい街に住みながら世界と仕事をするスタイルが実現しています。
物価とお金のリアル
ユーロ導入前のペセタ時代を知る角田さんにとって、価格は体感で倍程度に上がりました。
一方で収入は価格ほど伸びない現実がある。それでもスペインの人々は外食やバル文化を手放しません。
月末に口座残高が薄くても、友人や家族と過ごす時間を優先する。太陽の下の一杯とおしゃべりが生活の質を上げるという価値観が根底にあります。
参考までに、動画内の生活時間の手触りはこうです。
夕食は二十時半から二十一時に開く店が普通で、パエリャ、パンコントマテ、パドロンの素揚げ、ガリシア風のタコなどが定番。公園は朝七時から夜十時まで開き、日没後も人の気配が絶えません。
街の記憶を歩く
旧市街のサンタ・マリア・デル・マル教会は大航海時代、船乗りが出航前に祝福を受けた場所。
近くにはピカソ美術館、そしてかつてフランス方面への列車が発着したフランサ駅の大屋根が残ります。
路地の治安は住民の工夫で変わることもある。暗い通りに灯りを増やし、光のプリズムを飾り、写真を撮りたくなる場所に変える。
デザインは物体だけでなく、人の動線や行動まで設計するという視点が、街の空気を少しずつ良くしていきます。
リーマンショックが教えてくれたこと
2007年から2008年の危機では、真っ先に削られたのが新規開発や広報など、デザインが関わる予算でした。
大きくすることよりも、小さくすることの方が難しい。
スタジオを縮小し、従業員を泣く泣く手放し、電気が止まるほどの苦境も経験。
それでも日本へ戻らなかったのは、家族全員がこの街で生きたいと望んだから。大変さを共有し、それでも残ることで見える景色がある。その選択を支えたのは、街と人に対する深い信頼でした。
デザインの核は紙とペン
青いボールペンとA4の紙があればデザインは始められる。
三次元ソフトが進化した今でも、模型を手でひっくり返し、目の前の質感から学ぶ過程は代替できません。
コストをかけなければ良いものができないわけではない。段ボールという安価な素材から、人の心を動かす照明が生まれるという事実は、クリエイティブの民主化そのものです。
家族、言葉、そしてこれからの拠点
娘さんたちはスペイン語とカタルーニャ語に加え、日本語や英語にも触れながら成長。
十五歳と十三歳になり、親の手が少し離れた今、仕事に集中する時間が増えました。
今後はメキシコの成長市場に力を入れつつ、日本の中小メーカーの優れた技術を海外に届ける橋渡し役にも意欲的です。将来はバルセロナ郊外の古い農家を買い、自分たちの手で改装しながら、アートで人を豊かにする場を育てたいという夢も語られました。
これから移住や長期滞在を考える人への実践ヒント
住む場所は収入の最大化より、創造性と健康の最大化で選ぶと長続きします。
仕事は住む場所と切り離してグローバルに獲得する発想が鍵です。子育ては街ぐるみの環境が力を発揮します。教育は個に合わせる。
アートや文化へのアクセスは子どもにも大人にも栄養になります。治安や路地の空気感は住民の小さな手入れで改善できます。明るい灯り、写真を撮りたくなる景観づくりは意外なほど効果的です。
まとめ
バルセロナは、ただの観光地ではありません。
光、食、音、人の距離、そして息づくアートが、暮らしそのものを創造的にしてくれる街です。
会社が倒れ、収入が途絶えた時期があっても離れなかった理由は、稼ぐための場所ではなく、生きるための場所としての圧倒的な説得力があったから。
住みたい街に住み、世界と働く。このシンプルな選択が、角田さんの人生とデザインを、より深く強くしてきました。
困難と祝祭が同じテーブルに乗る街だからこそ、笑って前に進める。そう思わせてくれる具体例が、この動画には詰まっていました。
コメント