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なぜポーランドは親日国なのか?歴史から見る“絆”の物語

ヨーロッパの中央東部に位置するポーランドは、「ヨーロッパ一の親日国」とも言われています。


その理由は単にアニメや文化人気だけでなく、100年以上前から続く深い歴史的な絆にあります。この記事では、ポーランドの歴史と日本との関係を、わかりやすく時系列で解説していきます。


目次

ポーランドという国の基本情報

ポーランドはドイツの東隣に位置する国で、面積は日本の約8割、人口は約3,800万人。

ヨーロッパの中では人口第6位で、文化・科学・芸術の分野で多くの偉人を輩出しています。


たとえば、音楽家ショパン、科学者キュリー夫人、そして地動説を唱えたコペルニクスなどが有名です。
国旗は白と赤の二色で、「白=純粋」「赤=勇気」を意味します。


苦難の歴史 ― 三分割で消えた国

ポーランドの建国は西暦966年と古く、長く繁栄を続けました。


しかし18世紀になると、内政の混乱により国力が低下し、ドイツ(当時のプロイセン)、ロシア、オーストリアの三国によって領土を分割され、国自体が地図上から消滅してしまいます。


それでもポーランド人たちは祖国を取り戻そうと、何度もロシアに反乱を起こしました。


シベリアに送られたポーランド人と日本の救出劇

ロシアの支配下で反乱を起こした多くのポーランド人が捕まり、シベリア送りとなりました。
極寒の地で強制労働を強いられ、数多くの孤児が生まれました。


第一次世界大戦が終わり、1918年にポーランドが独立を果たしても、シベリアに取り残された子供たちは帰国できませんでした。

この悲劇に手を差し伸べたのが日本です。


日本赤十字社が中心となり、1920年にシベリアから孤児たちを日本へ避難させました。


福井県の敦賀港に765人のポーランド孤児が到着し、東京の施設で保護を受けました。
痩せ細った子供たちに日本の人々は温かく接し、栄養のある食事や衣服を用意し、全国からお菓子やお金の寄付が1400件以上集まりました。

その後、子供たちは健康を取り戻し、祖国へ帰国します。
この出来事はポーランドの教科書にも掲載され、「日本は命の恩人」として語り継がれています。


受け継がれた感謝 ― 現代まで続く交流

戦後、ポーランドは再びナチス・ドイツとソ連に侵略される苦難の時代を迎えますが、何度倒れても立ち上がりました。


ワルシャワ蜂起で街が破壊されても、国民の手で瓦礫から再建。
現在の旧市街は当時の絵画をもとに忠実に復元されたものです。

日本との絆も途切れることはなく、阪神淡路大震災や東日本大震災の際には、ポーランドが日本の被災児童を招待する「恩返し」を行いました。


また、100年後の2023年には、両国でリンゴの植樹イベントが開催され、当時孤児に配られた“リンゴ”が友情の象徴として再び登場しました。


現代のポーランドと日本の関係

現在、日本の企業は300社以上がポーランドに進出。


両国の首脳会談も頻繁に行われ、政治・経済の関係も非常に良好です。


さらに、ワルシャワ大学には「日本学科」が設置され、日本語だけでなく日本文化・文学・歴史を専門的に学べる学科として人気を集めています。
倍率はなんと15〜20倍という難関。アニメや文化をきっかけに、日本を真剣に学ぶ若者が増えています。


まとめ:苦難を共にしたからこそ生まれた絆

ポーランドと日本の関係は、単なる友好国ではなく、命を救い合った“同志”のような関係です。


シベリア孤児救出から100年経った今も、ポーランドの人々は「日本は私たちを救ってくれた国」として深い感謝の気持ちを持ち続けています。


その思いこそが、ヨーロッパ一の親日国と呼ばれる理由なのです。

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